【起立性調節障害】学校に行けなかったHSP気質の娘にした4つのこと

現在中学3年生の娘、3年間不登校ぎみでした。

我が家の場合は毎日行けないというのではなかったので不登校「ぎみ」ということです。

現在は元気に毎日登校しています。

目次

体調不良の始まりから不登校の体験記

小学校5〜6年生頃からめまい、頭痛、腹痛などの体調不良を訴えるようになりました。

最初はめまいなどはただの立ちくらみだろうと気にしていなかったのですが、頻繁に言うようになったので、かかりつけの小児科に受診をしました。

30分ほど寝たり起きたりした時の、血圧を計った検査をされていたと思います。

検査結果は「起立性調節障害」であろうと。

その時私は初めて聞く病名でしたが、お医者さんは珍しい病気じゃないよと、安心させるように言っていました。

家に帰って検索してみると、「朝起きれない」と書いてありました。

確かに診察の時に朝起きれるかと聞かれ、
「言われてみればスッキリとは起きれてないかもしれないが起きている」と答えたんですが、診断の後もやたらと朝起きれない病気だからと言われたのはこのことかと思いました。

起立性調節障害とは

めまい
起立すると通常の心拍数よりも著しく高くなり、めまいや息切れが生じる

血圧の変動
起立すると血圧の低下や不安定によってめまいやふらつきの原因となる

疲労感
継続的な疲労感を感じる

消化器症状
腹痛、吐き気、便秘、下痢などの消化器症状が伴うことがある

起立性調節障害って今本当に多いみたいで,学校へ提出する持病やアレルギーを記入する用紙にも項目があるんですね。娘がなって目にするようになり知りました。

起立性調節障害と診断された後は?

診断後、しばらく出された薬を飲む日々でした。

しかし体調が良くなっているのかどうかはよく分からず、「頭が痛い」「お腹が痛い」などと言う日々は続きました。

それからどんどん朝起きれない日が続くようになり、毎朝大きな声で起こしてみたり抱えて運んだり
試行錯誤しながら毎日「今日は起きてくれるのか?」と不安な日々を過ごしました。

どうにかこうにか朝起きていたけれど、ふと「最初に病院で診断された時より起きれなくなってるよね?」と思いました。

確かに病院の先生は、「この病気は長い目でみていかないといけないから薬を飲んですぐに劇的に変わることはない」とは言っていたけれど、あの時、朝起きれない病気だからと何度も言われたことでそのように本人がインプットされたんではないかと、悪化していることに疑心暗鬼になったりもしました。

朝なんとか起こして食卓につかせても、朝食に顔をつっこみそうなほど座りながら寝ている。

そしてお腹が痛いと言う。
どうにかこうにか着替えも済ませて、学校に行ける状態になっても玄関で行けないと大泣きする。

私もどうすれば良いか分からず無理に行かせてみたり、「でも休ませるべきなのか?」「いやいや、休んじゃダメでしょう」とかグルグル思考がめぐって、正しい答えも分からぬまま毎晩、翌朝の不安を抱えて眠り、不安なまま朝起こし同じような日々の繰り返しでした。

この頃は小学6年生で
少しずつ休む日が増えるようになりました。

中学校の入学式

小学生の間は少し休んだり遅刻したりしながらも大体は登校できていました。
お友達との関係は女子の間のいざこざは多少なりともあるものの、学校へ行けば楽しく過ごせていたようで。無事小学校を卒業しました。

そして中学校の入学式当日。

学校へ行くと新しいクラス編成が貼りだされていました。
娘の学校はひとつの小学校からしかきません。みんな知っているメンバーなので誰がどんな子かすぐに分かります。

娘が貼りだされた新しいクラスを見ると、そこには全く仲良い子がおらず、それどころか娘が気が合わないと思っている子たちしかいなかったようです。

その瞬間娘は大きな声で「やだー!!!」と言いました。

みるみるやる気のない顔になる娘を見て、この時点で私は「あー、明日の朝からまた大変になるな」と悟りました。

スクールカウンセラーへの相談

それから娘の中学校生活が始まりました。

朝は相変わらず起きれない、それにも増して体調不良を訴えることが多くなりました。

登校できても気の合うお友達がいないから、休み時間はひとりでずっと本を読んでいたそう。

私も毎朝の戦いと娘の生き生きとした表情がみれないことに疲れてきて、こんなに無理に起こして学校へ行かせることは正解なのか分からなくなりました。

でもそのまま休ませ続けて完全な不登校になった場合のその先の将来がどうなっていくのかの不安もあり、一体どうすれば良いのか分からず、スクールカウンセラーに相談をすることにしました。

予約した相談日。
スクールカウンセラーの方は学校への内容の報告義務はないから、なんでも話をしてくださいと言ってくださいました。

ひと通り経緯を伝え、休ませるべきなのか聞くと今は完全に不登校ではないから。毎日ではなくたまにリフレッシュする感覚でお休みを入れていけば良いのでは?ということでした。

私の特に聞きたかった、完全に休んだ場合のその子の先はどうなるのかということに関してはやはり人それぞれだからという明確な答えがもらえずに終わりました。(そりゃそうですよね)

話を聞いていただいたことに関してはスッキリしましたが、やはりひとりひとり違う人格の子供たちにこれをすれば正解ってないんだな、と思ったのが私の感想です。

なので我が子は我が子に合わせていこうとこの時思いました。

が、どうすれば良いのかこの時はまだ全く分からず、しばらくは戦いは続きました。

心療内科の受診

学校へ行けない日が多くなり、私もすごく悩んではいましたが、それ以上に娘本人は悩んでいました。

ある日、「違う病院に行きたい」と自分から言ってきました。
以前から小児科ではなく心療内科でみてもらったほうが良いのかなと思いつつ、なんだか心療内科ってハードルが高いイメージで、私自身、気乗りがせず行動にはうつしていませんでした。

体調不良を訴え始めた初期のころ、昭和生まれの私としてはどちらかというと「学校とは行かないといけないからつべこべ言わずに行けば良いんだ」「起きれないのは甘ったれているのでは?」という考えでした。

今思えばただの決めつけで、ダメな母でした。

でも実は私の知らないところで娘はすごく悩み。どうにか改善したいと自分でも色々調べては効果的なことを実践したりしていたようです。

学校に行けないことに罪悪感も持っていたようで少し体調が回復したら勉強をしたり、ラジオ体操散歩をしたり。水分を多くとることを心掛けたり調べては自分なりに頑張っていたようです。

それを知った時「甘えだ」などという考えがあった自分がすごく腹立たしく娘に申し訳ない気持ちになりました。

そんな中で自分から別の病院に行きたいと言ってきたのですぐに病院を探しました。

大きな病院で「小児精神科」で電話予約をし、予約の時点で細かく話を聞かれ、学校名も聞かれました。本人は学校や先生には知られたくないというので学校とのやりとりはしないようにお願いをしました。

予約日に行き、初めてお会いする担当の先生による診察が始まりました。一旦軽く話をして、その後私と娘と別々に先生と話をしました。

先生から何か気になることは?と聞かれたので「私が夫と別居を始めたことも体調不良と関係があるのか気になっています」と伝えました。
体調不良がひどくなってきた時期とちょうど前夫との関係がぎくしゃくしていた時期が同じ頃でした。
いつも娘はパパとのことは関係ないと言っていましたが、プロ目線からみてどうなのかな?と思い伝えてみました。

先生は一語一句逃さぬよう全てパソコンに打ち込んでいました。

その後、娘と先生の二人での問診をしたのち、以前の小児科でもしましたが再度検査をして、やはり起立性調節障害だと言われました。

娘との問診のあとに再度私と先生二人きりで話をしたのですが「やはりお父さんのことも関係あるようですね」と言われました。
娘がどう先生に伝えたのか、私に言えない悩みがあったのかとても気になりました。

そして血液検査の結果では「亜鉛」がすごく不足していると言われ、それを補う漢方薬が処方され、それで様子をみることになりました。

その後、様子をみていましたが、やはりあまり変化は見られず、娘は病院へ行く意味も感じられなくなってしまい、2回通院した後に3回目の予約日を前に「もう行かなくていい」と言いました。

あとから聞いたことですが、先生はひたすらパソコンに打ち込んでいるだけだし、パパのこと関係ないのに話を出して結びつけようとしてくるし、こんなに大量の薬飲んで良いのかも不安だし、という理由だったようです。

変化はあまり見られませんでしたが(娘がまじめに薬を飲んでいなかったせいもあるのかもしれません)病院を変えて行ってみたことは、私たち親子にとっては良い踏ん切りとなり結果良かったと思っています。

子供の性格の分析をする

大きな病院でみてもらってもさほどの変化は見られず、期待していた娘にとっては恐らく想定外だったと思います。でもそこから少しずつ娘が良い意味で変化していったように思います。

娘は周りからどう思われるかを気にするタイプです。

こんなことをしたら、こんなことを言ったらどう思われるか?あの子にあんなことを言っちゃったけどどう思われたかな?ということをよく言っています。

たぶんHSPという繊細な気質なんではないかなと思っています。

HSP気質の娘に当てはまること

・音が苦手(トイレのハンドドライヤーとか)
・人混みに行くとグッタリする
・人の仕草、反応などに敏感に気にする
・他人に共感しやすく疲れる
・衝撃的な映像や戦争の記録などが極端に苦手
(社会の授業で戦争が出てくるときはあらかじめ先生に伝えてあるので生々しい写真が続くときは保健室に行っているようです。)

ざっと出したらこんな感じなのですが、HSP診断をすると大体当てはまります。

そして私が娘に対して特に気になっていたのが自己肯定感が低いということでした。

自己肯定感の低い娘に当てはまること

・周りと比べて自分は劣っていると思ってる
・チャレンジできない
・自信がない
・自分が何かやってもうまくできないと思っている
・自分なんかが人に話しかけても無視される、と思っている
・「私なんて」と言う

繊細な気質だからこそ他人からの言葉を否定的にとらえてしまったり、些細なことを気にして落ち込んだりしてしまいます。

少しのきっかけで自己肯定感が低くなりやすい傾向にあるのに対して、私の今までの娘に対する言動も要因にはなったのかもしれないと思いました。

それからです。

たまこ

繊細な気質は個性なのでそれを生かしつつ、「もっと自分に自信をもって良いんだよ」ということを娘に知ってもらうために私は動きました。

子供の自己肯定感をあげるためにしたこと4つのこと

その時の娘は他人軸だったと思います。
その場合やはり他人の言動で一喜一憂してすごく生きにくいし、それは学校にも行けないないどころか日々楽しくないであろうと思い、私は娘が自分軸で生きれるように工夫をしました。
そのために自己肯定感を上げることをまず考え、実行しました。

褒める

ありきたりなんですがちょっとしたことを褒めました。
「ほんと可愛いよね、石原さとみちゃんに似てるって誰かも言ってたわ」
「スタイル良くてうらやましい」
「ノー勉でこれだけの点数取れるなんてやっぱりあなた賢いわ!」

などなど、はたから見たらなんて親ばかと思われること、ひたすら言いました。でも嘘をついておだてているわけではありません。やっぱり自分の子供ってかわいいですもん、それをちゃんと大げさに口に出して伝えただけです。

それと娘の長所や良いところを紙にブワーっと思いつくまま書き出して、プレゼントしたこともありました。自分が知らないだけで周りからはこんなに良く見られてるんだよ、ということに気付いてほしかったんです。

好きなことをさせる

自分の波動を上げて良い気分でいるために好きなことをさせました。娘は漫画が好きなので漫画をよく買いに連れてってました。ただそれだけなのに好きな漫画を読むとモチベーションが上がるみたいで、それだけで希望に満ちた表情に変わりました。

やっぱりワクワクする気持ちってとても大事です

勉強をしなさいとは一言も言っていないです。
ただ、本人が自分でモチベーションを保っているので好きなことをすることと、やるべきことの分別はついており、自分なりに計画をして進んで勉強をするようになりました。

勉強しながらイヤホンで好きな音楽を聴いていますが、それが勉強のプロ目線から見て良いか悪いかは私には分かりませんでしたが、成績は明らかに伸びているので本人には合っているようです。

夜寝る前と朝起きがけの気分を良くする

ネガティブ思考だった我が子、とにかくポジティブになってほしいと思い、私が一番心掛けたのが

就寝前と朝のボーっとした時間の気分をよくするということです。

これはめちゃくちゃ大切だと思います。

寝る前に考えたことなどは潜在意識に定着してしっかりと記憶に残ります。
潜在意識って自覚はしていないけど行動や思考にすごく影響を与えるので、ここに良い記憶を刻んでいこうと考えました。

夜寝る前は一日をハッピーな気持ちで終わらせる、これは良い気分で眠りについたときとそうでないときの差が全然違います。そして寝る前の気分が翌朝の気分も左右するので重要です。

布団に入ってから今日あった出来事を楽しく聞きました。
冗談を言い合ったり、ハグしたり。そして寝る前や時には眠っている中で「ママの世界で一番の宝物だよ」って声をかけました。

もっと小さい頃はよくやってたんですが、そういえば大きくなるにつれ表現してなかったなーと思いました。

朝は起立性調節障害を診断されていたとおり、最初は起きれませんでした。起こしても後から聞くと本人には全然聞こえてないそうです。

でもこの自己肯定感を高めることに努めてからは、本人が「自分で起きるから起こさなくていい」と言い、自分でアラームをセットし、私はひたすら見守ることにしました。

朝、起きてこれたら笑顔で挨拶をしてまた褒める

その繰り返しで現在はすんなりと起きれるようになりましたし、むしろどんどん早起きになってきています。

感謝をする

感謝をする心を持つと自己肯定感も比例して高まります。

何かしてもらった時に感謝をするのはもちろんなのですが、

普段当たり前だと思っていることに感謝をすることがさらに重要です

ですが、いくら感謝が重要だったとしても、本人に感謝をしろと言って心からできるものではありません。

そこで私が自ら感謝できる人間になろうと思いました。

なぜなら子は親の鏡ですから。

私の娘に対する言い方を娘がよく弟に対して同じ言い方で言ったりします。
それが嫌な言い方だったら聞いてるこっちも嫌な気分になるのですが「あ、私こんな言い方してたんだ」と気づきます。

やっぱり親の言動は良いも悪いも子供に影響します。

私が日々感謝をすれば子どももそれを見ています。
子どもがお手伝いをしてくれたらちゃんとありがとうと伝える。

当たり前なんですが、いつもやってることが当たり前になっても感謝の心は薄まらないように気を付けていました。

まとめ

体調不良を繰り返し、精神的にも不安定で3年間不登校ぎみになり、親子で悩んだ日々を経て現在、中学三年生の娘は以前と別人のように明るくなり、学校でも友達がたくさんできました。

我慢ばかりしていた昔とは違い、ある程度の自己主張はできているようです。

他人に全く振り回されないかといえばそうではないですが、自分軸で生きる術を少しずつ身に着けたようで、自分で自分を褒めながら過ごしています。

頭痛などの体調不良はまだありますが、頻度は以前と比べるとかなり減りました。

夢もたくさんあります。
自分の人生、好きな道に楽しく進んでくれると良いなと今は見守っています

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